2011年09月09日

【資料】『また君に恋をした』アンドレ・ゴルツ

これは、いささか間接的すぎるかもしれない。



2010年に水声社から発刊されたこの書籍。訳者から献本としていただいたのだが、そもそもこのアンドレ・ゴルツという名前に興味があった。ペレキアンなら、気にならないわけはないだろう。

彼の「モーリス・ナドーへの手紙」(『家出の道筋』水声社2011年、酒詰治男訳)にこうある。

これは「レ・タン・モデルヌ」誌に発表され、「老化」と題されていたアンドレ・ゴルツのテクストを書き変え、発展させた物語、あるいはより精確には一連のテクストです。(p.76)

じっさいに、「老化」を読んでみてもよくわからない。なんとなくこんな感じなのかもしれないというのは分かるが、違和感のようなものを感じる。そもそもなぜアンドレ・ゴルツだったのか。このあたりは、いくつか考えられる。一つは、ペレックが「レ・タン・モデルヌ」誌のいい読者だったこと。とくに、初期の彼の引用には、「レ・タン・モデルヌ」誌に発表された論文をもとにしているのではないかという部分が多くある(これは後に説明する)。

もう一つ。彼のフランス現代思想への関心である。その時代がどんな時代かは想像するしかないが、文学をやっているものにとって思想的な背景は一つの必要があったのではないか。例えば、ルカーチを読むペレック(ルカーチのフランス語訳はかなり後になって出版される)は、どこか本物っぽくない。また当時、高校の先生でもあったジャン・ドゥヴィニョー氏のおそらくは紹介と思われるポール・ヴィリリオとの親交などは、関心がなかったとは言いがたい。

かつてミカエル・フェリエ氏は、東京日仏学院で行ったペレックに関する講義のなかで、ペレックの『さまざまな空間』とドゥルーズのセリーとの類似を論じていた。

どこまでペレックは、ドゥルーズ、デリダといったフランス現代思想を知っていたのか、あるいは、知っていたとして、どの程度の影響を受けていたのだろうか。

さて、挙げた書籍の引用に移ろう。この本には、つぎのような行がある。

「老化」は僕の青春への決別、ドゥルーズ=ガタリが「欲望の無限性」と呼んだもの、そしてジョルジュ・バタイユが「汎可能性」と呼んだものとの決別となるものだった。これは「無」の意志と「全」の意志が混ざり合うという、いかなる定義によっても定義不可能な、拒否によって接近可能な概念である。(p.76)

同じ76ページであるのは、水声社が意図したのだろうか!
この1文を見つけた時、10年来の謎がとけたように思った。とくに後半の、無の意志、全の意志、拒否、接近可能、ペレックの作品に読むことのできるいくつかのキーワードではないか。しかもゴルツは、ドゥルーズ的なな世界、バタイユ的な世界を意識して、それに反するように「老化」を書いていたということだ(あくまでも回想なので、ほんとうにそうだったかはわからない)。

その「老化」を受け取ったペレック。しかも肯定的に受け取っているペレックには、意識として、こうした20世紀のフランス思想へのなんらかの関心からだったのではないかと思わせる(あくまでも思わせているのであって、定かではない)。

ゴルツを引用するペレックにどれだけの意図があったかはわからないが、当時の状況を少しだけ垣間みさせてくれる。


posted by じん at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 【資料】 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする