2011年09月06日

はじめにお読みください。

まず、このブログをはじめるに至った経緯を簡単に説明させていただきます。

私は、大学生時代から興味をもってジョルジュ・ペレックについて、調べ、ときには論文を書いてきました。それはちょうど1991年年頃のことになります。かれこれ20年がたち、この間、いくつもの翻訳が出版され、とみに近年、次々と水声社がジョルジュ・ペレックの新刊を発刊、『人生使用法』も復刊となり、はたしてどれだけの読者がいるのかわからないにしても、以前にましてペレックが知られるようになってきました。塩塚先生の『煙滅』は、これまで不可能とまで言われていた翻訳が完成し、この作品は、作品としても高く評価され、ペレックという名前を知らしめました。

まだ『人生使用法』が発売される前は、ごく一部の人たちがその存在を知っている(でも作品は知られていない)作家で、同時代のフランスにおいても、ほとんど知名度のない作家でした。ちょうど私が興味をもって研究を始めた頃、当時、明治学院大学で教鞭をとられていた清水徹先生に『人生使用法』を教えられ、その本をもってフランスへ留学しました。当時は、日本語で読める彼の作品は、『物の時代/小さなバイク』(白水社、絶版。九州の古本屋で入手)、『眠る男』(絶版。未入手。コピーで保有。図書館で入手)のみでした。ちょうど水声社の「風と薔薇」が出た頃で、私が手をつけはじめた頃はまだ上記の2冊のみでした。

それから20年近くがたち、自分の人生も変わり、研究者としてではなく、編集者の道を歩み始め、尊敬する先生方の仕事にどこかで協力できる日を夢見て、後世の研究者たちがよりよい研究を残してくれることを望んで日々を過ごして来ました。この間、この種の文学に興味を持つ人々、とくにウリポ、ペレック、クノーといった名前を知る人に出会うことができました。

なかでも福住くんは、大学院を卒業して、就職をしてからもペレックのことを追い続けている熱心なアマチュア研究家です。出身校が同じであることも手伝って意気投合し、お酒を飲むたびに、何かを一緒にやろうと言っては楽しんでいました。彼は、きちんと情報を発信しているのに、自分はいまだに何もできていない、そんなことを思いながら、彼を励みしてきました。

なぜ情報を発信しないのか。

やはりいまでも抵抗があるのは、私は研究者ではない、ということ。かつては研究者を目指してはいたものの、その道から退いた人間。やはり研究は専門家にまかせるべきではないか。そう思って来たのです。だから余計なことは書かず、言わず見守るようにじっとしていたのです。それに自分は、現役から遠ざかっていてもはや現在のペレック研究の趨勢も追えずになっています。

先に名前をあげた酒詰先生、塩塚先生にも会い、それぞれの研究のお話を聞いたりしたこともありました。その研究にかける情熱は、すばらしく尊敬に値します。そんな彼らに比べれば、たいしたことをしてこなかった。そう思うばかり。そんな先生方がいるにもかかわらずペレックのことを語ってはと、どこかためらわれたのも事実です。ほかにも、多くの先人となる数々の先生がいるなかで、自分がかかわった時間はごく短い期間でしかない。そう思うと、どうしても書く気にはなれなかった、それが本音です。

ただ、それでよいのだろうか。アマチュアはアマチュアなりにできることだってあるだろう。

そう思わせてくれたのは、先に名前をあげた福住くんでした。またもう一方で、ペレック、ルーボー、クノーなどを読む読者たちの姿をみていて強くそう思わせてくれました。年々、出版点数が増えて行くなかで確実に読者は増えてきています。1月に行われた『煙滅』の出版を記念したトークショーにも多くの若い人たちが来て、熱心に聞いていました。あきらかに新しい書き手が出てきている、と実感をしました。

もう1つのきっかけがありました。ある出版関係者の飲み会で、隣に座った書店員さんが、フランス語専門の出版をやっている私の名刺を見て、「私、フランス文学が好きなんです。」と言ってきたので、何が好きなんですかと問い返すと、「ウリポです。」と言ったのです。驚きでした。

それからいろいろとウリポの実験文学について話していたのですが、ウリポと言っても、Bibiliothèque oulipienneが訳されているわけでもなく、具体的な資料がないなかでは、なかなか話も伝わらない。ペレックの話をしていても、Queysanneの話をしたところで、うまく伝えきれない。あまりにも日本語化された資料が少なすぎる。

同じく出版業を営む人間として、研究所のたぐいや文学書がいま出版しにくい世の中であることはよくわかっているつもりで、そんななか水声社が資料的価値のある散文集を出してくれるだろうか。期待ができるのだろうか。望んでも、仮に出るにしてもまだ当分先のことになりそうで、研究書に至っては無理だろうと思う。そう、こうして時間が過ぎていたんだと、自分でこのとき実感したのです。

かれこれ10年、何もしなかったこと。例え、その資格がないにしても、少しでも情報があるなら出して、それを提供すること、そしてその情報をもとに次の読者が、次の研究者がさらに別の情報にアクセスすることができることは、研究のスピードをあげていくことにもなったのではないのか。

フランス語の専門家ならいざ知らず、フランス語ができない人に対してだって、少しでも情報があれば、あの謎めいた『Wあるいは子供の頃の思い出』をより深く読めることにはならないか。

たまたまWikipediaで、アラン・コルノーの映画『セリ・ノワール』の記事を読んだとき、そこの脚本家の欄がジョルジュ・プレクとなっていたのです。そのせいでリンクがペレックから切れていた。ペレックが『セリ・ノワール』の脚本を書いたのだと知っていなければ、当然ながら書きようがない。こういうことが、これからも残るのであれば、こうした小さな修正をしていくのも、十分に価値のあることではないか。そう思い、決意をあらたにペレックについて、僭越ながら書かせてもらおうと思ったのです。

ですので、すみません、このブログはアマチュアの書いたものです。それだけは読む前によく理解していただけると幸いです。


posted by じん at 09:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする