写真にある通り、右が英語版、左がフランス語版となる。
英語版(1993年)、フランス語版(1993年)ともに同時期に出版されたが、確か英語版のほうが早く出たのではないかと記憶する。しかしこれだけのボリュームのものが同時に出版されるというのは、ベロス自身が英語版と同時にフランス語版を自ら書いていたから。しかしそれにしてもこのボリュームの差はなんだろうか?
それはともかく。この評伝の特徴は、もちろんベロス自身研究者としての成果でもあるのだが、何よりも多数引用されている聞き書きにその価値がある。生きている関係者にインタビューをし、そこから引用している。当然ながら作家自身が文字化しなかった情報や、作家自身によるというよりも、関係者による作家に関する貴重な情報が載っている。
一方では不安も残る。この「聞き書き」というのは、あくまでもベロスが聞いて、ベロスにとって有益な証言を掲載しているものであって、いまその資料がすべて公開されているかどうか定かではないが、もし第一次資料としてのこの「聞き書き」の総体を第三者が検証することができないとしたら、研究資料としては問題がないとは言えない。貴重な証言であると同時に、きわめて扱いにくい。
とくに現代作家の場合、関係者が生きているというのは、あらゆる意味で研究には有益なことだ。しかし、だからと言ってそのことは資料性に乏しい。私も、いくつかの点を関係者に直接聞いたことはあったが(ほかで述べる)、それはあくまでも研究の結果あってのことだ。
この仕事の評価が分かれるというのはとても頷ける。
例えばこんなエピソードがあった。
私は幸運にもフランス語版が発売された直後にフランスへいた。また、発売とほぼ同時期に、ポンピドゥーセンターで行われた座談会に立ち会うことができた。内容は、このベロスの本を巡ってだ。この会を主催したのは、たしかBeaumatin(若手の研究者)だったように思う。ステージ上で話をしていたのは、確かJacque Neefs、Pilippe Lejeune、そしてベロス、それとあともう一人だったように思う.あるいは、Neefsはいなかったかもしれない。
この会、蓋を開けてみると、なんとベロスに対する大批判大会だった。
この評伝には問題があった。多くの場所で引用されている彼が関係者におこなったインタビューである。当然ながら個人的な情報であるので、書かれては嫌がる人もいるだろう。おそらく了解をとって掲載はしているのだろうけど、膨大な数の引用にのぼるため、了承を完全に得ていなかったのではないか。もう1つは、あまりにも個人的な情報、とくに人間関係に関する記述が多く、作家ペレックのイメージを貶める危険性を十分にはらんでいた。私は、むしろ人間臭い部分がわかってなお好きにはなったが、当事者が存命で、その当事者がよかれと思って協力したところ思ってもみない記述になっていたとしたら、普通はいい気持ちはしないだろう。
おそらくは、このスタイル、当事者にインタビューをしてまとめるという方法はもしかするととてもイギリス的、アングロサクソン的なのかもしれない。また、私生活についてつまびらかに記述するのもイギリス的なのかもしれない。しかしフランス人には到底受け入れられない。ましてや当事者になればなるほど、そんな文化的な違いなど気にするまでもなく、癇に障る。
とくに攻撃がすごかったのが2番目のパートナー、Cathrinne Binetだ。一度、マイクを握ったら離さないとばかりに批判をしていた。その前、前方にはPaullette(最初の奥さん)が息子と座っているのである…。
「聞き書き」によって与えられた情報は大きい。またこの本に付された細かいインデックスもとても助かる。ただ、ところどころ資料的な間違いがあるのも事実だ。久しぶりに本を開くと、資料部分に大きく×のついた部分があった。どう間違っていたのかは、明記されていないが、おそらくは、年代のミスだろう。演劇作品に関する部分で本質的な部分ではないが、確かアヴィニヨンの演劇祭でペレックがテーマだったときのことが抜けているというぐらいのことだろう。定かではない(調べようにも、すでにこのことについて調べた資料が残っているかどうか…)。だから研究書の一つとして扱うときには、少々慎重になる必要があると思う。
そうしたことはさておき。これほどまでの評伝はなく、人間ペレックを知る上では貴重な本である。
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